スポンサーサイト

--/--/-- -- --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告
とても刺激的なタイトルです。本当かしら?と思わず手にとってみました。
新書なので、薄くてコンパクトですが、なかなか事例が豊富で読み応えがありました。
傑作です。

著者は、刑務所、しかも殺人などの重大な犯罪を起こした受刑者が収容されている刑務所において、受刑者に個人面接をしたり、更正のためのプログラムをつくって授業をしたりしています。これはボランティアで長年されていることで、本職は大学の先生です。

この長年の受刑者(しかも凶悪犯)との関わりのなかで、タイトルの法則に気づいた、ということを、数々の事例で説明されています。タイトルは目を引くための大げさな表現ではなく、著者の思いそのものです。

ここでいう、やってはいけない反省とは、
○本当の、というべきか、心から自分が何をしたのか思い返し、考え直すこと ではなく
×反省文 のことです。

しかし、社会的には、学校でも刑務所でも、なにか悪いことをしたら「反省」をさせ、形式上反省したとみなすために反省文を書かせることが一般的です。著者が否定するのは、この反省文を書かせる行為です。
なぜなら反省文を書く行為によって
*反省した、と周りは思い込む。
*本人は立派な(形式的な)反省文を書いたのであって、反省をしたのではない
構造が出来上がってしまうからです。

受刑者との関わりの中で著者は、受刑者に反省=何を自分がしたか気づく、ためには、まず、本人の本音(たいてい、自分ではなく、相手が悪い、という意識)を聞き出すことが重要と言います。
その本音を引き出すためにも、聞き手は否定したり建前を押し付けるのではなく、受刑者の「苦しかった思い」に共感するのが必要です。

反省文を書かせてしまう行為は、反省文を書く=罰を受け、罪が帳消しになった、感覚にもつながるそうです。
これは、前回読んだ、アドラー心理学の「怒られたら罪が帳消しになることになる」感覚と近いものと思われます。
実際、この本の後半は、犯罪を起こす人の家庭教育の問題が指摘されています。

そこで問題視されているのが、「りっぱなしつけ」です。
多くの親は子どもが「りっぱになるよう頑張って」生きることを期待します。
この「りっぱになるよう頑張って生きる」態度は、「我慢できること」「一人で頑張ること」「弱音をはかないこと」「人に迷惑をかけないこと」です。

社会生活上、当たり前の重要なことじゃない、と思いますが、著者は、この「頑張り」が、(子どもも大人にも)
実は生き辛さを与える結果になると指摘します。
自分の本音を出せない・人に助けを求められない・・・など。
そして、そのストレスがたまっていくと、他人に向かえば暴力等の犯罪、自分に向かえばうつ病などの心の病気になります。

我慢をすること=一人で抱え込む → 無理をして犯罪を起こすことになってしまう。
子どもに我慢をすることを求めすぎると、本人の生き辛さを作り上げてしまうか、将来の犯罪者を生み出す結果になる。
これが著者の主張です。
そうではなく、人間は弱いものと思い、人とのつながり・人に頼ることができるようになる、そのために、自分の本音をありのままの表現できるようになる=子どもっぽさを大切にする、そういう教育が必要と述べています。

親からの「100点をとるのが良い子」「喧嘩に勝つのが良い子」「命令に従えたらいい子」とういう条件つきの愛を親から提示され、そのイメージに沿わないから子どもは自分がダメな人間だと思ってしまう。
そうではなくて、ありのままの自分をそれでいい、と受け入れられることが必要。

とても簡単にまとめましたが、アドラー心理学の内容ととても近いものです。
私も子どもについ、「我慢」を求めてしまうので、考えさせられました。




未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)
コメント

管理者のみに表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。